2017年映画ベスト10

昨年公開映画の個人的ベスト10です。

 

【ベスト10】(計32本中)

1.ブラインド・マッサージ

2.メッセージ

3.LOGAN/ローガン

4.マンチェスター・バイ・ザ・シー

5.パーソナル・ショッパー

6.夜空はいつでも最高密度の青色だ

7.わたしは、ダニエル・ブレイク

8.三度目の殺人

9.20センチュリー・ウーマン

10.サーミの血

 

【他鑑賞作品】

タンジェリン,沈黙,スノーデン,ラ・ラ・ランド,マリアンヌ,お嬢さん,コクソン,ジャッキー,光をくれた人,美女と野獣,ゴースト・イン・ザ・シェル,夜に生きる,ダンケルク,ドリーム,ブレードランナー2049,スター・ウォーズ/最後のジェダイ,リュミエール!,昼顔,たかが世界の終わり,スプリット,否定と肯定,残像

For you-私立恵比寿中学迎春大学芸会~foever aiai~-

 アイドルのファンになってから6年余りになるが、メンバーの卒業(転校・脱退)は初めての経験になる(松野さんは卒業ではない)。私立恵比寿中学廣田あいかが1月3日に卒業した。彼女のサバサバとした性格もあって、あまり湿っぽい気分にはならないと思っていたが、終演後に感じたのは漠然とした寂寥感であった。1曲1曲彼女がエビ中の曲でパフォーマンスすることは最後なのだと、自分に言い聞かせながらその姿を目に焼き付けていた。

 自身最後の公演のテーマは「推し変」であった。彼女のファンの心情はいかばかりかと思っていたが、自称女子の集団が苦手な廣田さんのメンバーへの愛に溢れた公演であった。グループを抜けるという決断と同時に、抜けることによって変化を強いられるメンバーへの後ろめたさもあるのだろうか。これから個人で活動を続けていくために、今のファンにも応援して欲しい気持ちは間違いなくあるはずだが、徹底してエビ中への想いを伝え続けていた。

 昨年2017年のアイドルグループの解散や活動休止が多発したことからも分かるように、アイドルブーム自体の盛り上がりは落ち着きを見せ始めている。そんなタイミングで改めて「エビ中とは何か」という問いかけを演出に組み込むことには大きな意味があった。長くファンをしている人にも改めて彼女達の魅力を再認識させ、何故彼女達を応援してきたのかを自覚させる演出であったように思う。彼女達の今後の活動にとって重要な公演となっていた。そして何より、彼女自身の魅力も再認識させられた。自分が選択したことであるにも関わらず、メンバーに対する想いで引き裂かれそうになっている姿は、今までで一番彼女が隠したがっている部分が出てしまっていたように思える。完璧にアイドルをしていたあなた自身から溢れるその姿が一番の魅力だと気が付かせられた。

 

 今後の彼女のエビ中への想いは大きく二つ感じるものがあった。まずは、廣田さんは自身の後継者に関してである。エビ中の入り口であり、グループ全体を客観視してきた彼女の後継者は非常に難しい役回りな気もするが、彼女は中山莉子を意識しているようだった。公演タイトルにかけて「Foreverりったん」と言わせてみたり、パンフレットでシュークリームを持たせたり(これは自身の推しでもある佐々木彩夏を彷彿させるものであり、正当な継承にも感じる)、グループ内でのつっこみ役の可能性に関しての言葉もあった。中山莉子にブリブリのアイドルを演じさせると同時に、冷たく言葉を放たせる演出も、彼女が推してきたアイドルと彼女自身がしてきたアイドル像そのもののように見えた。中山莉子もその魅力を一層引き出されていた。

 そして、松野莉奈への想いと松野莉奈を想うファンへの想いだ。松野さんのイメージの強い『なないろ』『感情電車』2曲を続けて行い、極め付けに『いつかのメイドインジャピャ~ン』を4人で行う演出があった。亡くなった彼女の映像と歌声をライブで使用するのはほとんど禁じ手のような演出ではあるが、廣田あいか最後のライブで彼女自身が演出していることで成立していた。あんなにアップテンポな明るい曲にも関わらず、涙を堪えるのが必死であった。ただこれは泣かせようとしておこなった演出とも違うように思う。8人から急に7人になり、松野莉奈がいない状態を1年近く続けていた。しかし廣田あいかが辞めることで、松野莉奈の不在が和らぐ。彼女への想いに一度けりをつけ、ファンにもある種のけりをつけさせる演出のようにも感じた。『なないろ』『感情電車』が別の意味を持たせる楽曲にすることが、今後は必要になってくるだろう。4年前に卒業した3人と同じ武道館という舞台で、松野莉奈の卒業も演出したかったように感じた。

 公演を通して感じたのは、彼女たちの絆が別れを経験することでより一層強くなっていることだった。4年前に8人になってからぐっと仲良くなった印象があるが、今はそれ以上のものを感じる。個性の異なる彼女達がシンクロしているように見える瞬間がいくつもある。新メンバー加入も個人的には悪くないと思っていたが、秋ツアーの豊洲PIT見たら今のメンバーだけでの活動も見てみたい気持ちになった。彼女のいなくなったエビ中も楽しみだ。

 

 最後のダブルアンコールでの『シンガロン・シンガソン』は、中央に置かれた液晶に映された彼女の表情をずっと見ていた。涙を見せず、笑顔で変顔もして、最後の最後までずっとアイドルでいてくれた。「出逢ってくれた貴方へ。幸せで居てね。」あなたの言葉に救われる人がどれだけいることだろうか。8年間お疲れ様でした。あなたのいたエビ中のファンでいた4年間は、夢のような時間でした。ありがとうございました。あなたの幸せを心から祈っております。これからも応援していきます。

存在するということ-EVERYTHING POINT5-

 本日1月3日、私立恵比寿中学廣田あいかの最後のライブが武道館で行われる。その公演前に12月に発売された『EVERYTHING POINT5』について記しておく。昨年2月8日にメンバーの松野莉奈が急逝し、その直後から始まった春ツアーを追ったドキュメンタリーである。

 2013年から毎年春ツアーの様子をナレーションなしで記録していた『EVERYTHING POINT』も今回で5本目になる。今まではライブ映像と移動中や食事中のオフの姿を通して、彼女達の成長が映し出されていたが、今回は今までとは違う別のものも映し出されていた。

 人の死をどう受け止めるべきなのか。彼女の死はなんだったのか。そこに意味などないのだと分かっていても、私は自問自答を繰り返してしまっていた。『EVERYTHING POINT5』にはその答えのようなものが映し出されていたように思う。

 春ツアー初日の前夜に、彼女が出てきた夢を小林歌穂が話す。ケータリングのヤングコーンを見て、メンバーが同じように彼女が作ったヤングコーンの歌を思い出す。名古屋公演の前に中山莉子が「今日すごい、ここら辺がずっと泣いている。心の中とか、芯が泣いている。そしたら歌穂ちゃんもぁぃぁぃもみんなそうだみないた感じで言ってたから」とカメラの前で語る。彼女のことを知っている彼女たちは、自然に彼女のことを思っていて、思い出している。

 そしてツアーファイナルで最後に流れた音声と映像が全てを語っていた。最新アルバム『エビクラシー』に彼女の姿はなかった。しかし、亡くなる前に収録していた音源とジャケット写真撮影の映像が残されていた。もういないと思っていた彼女の姿がそこにいた。時間を超えて、今ここに彼女がいるかのように。

 「今、君とここにいる」。春ツアーのタイトルの意味を思い知らされた。確かに「いる」のだと。変わってしまったけど、変わらない。いないけど、いるのだと。

 だれもがカメラを携帯し、記録したものを簡単に共有できる時代に、映像を始めとする記録するメディアは相対的に価値が下がってきたように思う。過去に録音されたもの、過去に録画していたもの。なんのために記録するメディアがあるのか。考え直す機会となった。

 今日武道館で、変わってしまうけど変わらないものを目に焼き付けたいと思う。

まずは知ることからー『Black Box ブラックボックス』ー

 今年は森友学園問題を始めとする現政権に纏わる様々なスキャンダルが報道されている。その中でも私に強烈な印象を残している事件がある。元TBS記者のレイプ事件が不起訴処分になった件だ。こんなことまで起こってしまうのか。この事件の報道を目にして、まず3つ下の妹のことがどうしても頭を過ってしまった。

 フリージャーナリストの伊藤詩織さん(当時は名前だけで、姓は非公表であった)が被害を受けたレイプ事件の不起訴処分を受け、それを不服として検察審査会に審査を申し立てたことを報告する会見を2017年5月29日に伊藤さん自身が行った。

 10月に出版された伊藤さんの手記『Black Box ブラックボックス』は、想像以上にショッキングな内容であった。多くの女性が置かれている現状について考えたことはいままでなかった。事件の詳細も事細かに記されており、かなり気分が悪くなるものであった。あまり気持ちにゆとりのない時に読むのは避けたほうがいいと思うが、それでも多くの人が読むべき本だと思った。

 法律の問題は解決されるべきものだが、現状法律に不備のある状態が続いている中、残念ながら自分自身でもできることを考えなくてはならないと思う。「飲み物を残したまま席を立たない」とか、「レイプされた場合は産婦人科ではなく、救急外来にいくべき」とか、知っておいた方がいいことがこの本の中には多くある。知識が人を守ることは少なくない。

 最近ではハリウッドの映画プロデューサーHarvey Weinsteinのセクハラが告発され、それが引き金となり、他の俳優・映画監督への告発も立て続けに起こっている。日本でも元アイドルが事務所の給与未払いに対しての訴えを東京地裁に起こしていると報道があった。

 当事者が声をあげることは非常に困難なことである。それでも声をあげ、当事者を周りがサポートしていけば、世の中は少しずつ良くなっていくのではないかと希望を持ちたい。

 「一刻も早く社会に伝えなくてはならない」という伊藤さんのジャーナリストとしての信念を無駄にしてはいけない。まずはこの本を妹に貸すことから始めようと思う。

 

参考記事:“詩織さん”から伊藤詩織へ 本人が語った、今著書を出版する理由

https://news.yahoo.co.jp/byline/ogawatamaka/20171016-00076896/

ぁぃぁぃ転校に伴う今後のエビ中に関して思うこと

 すっかり秋らしくなってきたここ数日だが、先月も記録的な長雨と日照不足が続き、なかなか夏らしい暑さを感じない日々であった。先月開催された毎年恒例のエビ中の夏の野外イベント『ファミえん』も天気が心配されたが、晴れてはいるものの暑すぎない、野外ライブには最適な環境の中での開催となった。

 

 『ファミえん』は私の中でも特別なイベントであった。暗い学生自体を過ごしていた私にとって、3年前の山中湖で開催された『ファミえん』は一緒にいった友人のおかげもあって、修学旅行より楽しい旅行だったし、随分と遅くにやってきた青春のかけらのようなものだと思っている。夏の野外、エビ中ののんびりした雰囲気と、エモーショナルな楽曲に浸る特別なライブ。そんなイメージの『ファミえん』だったが、今年は少し印象の違うものだった。

 曲数が増えたことでセトリはいろいろな魅せ方ができるようになり、歌もパフォーマンスもクオリティの上がったライブは非常に楽しかった。成長したメンバーそれぞれ近くで見ることができ(柏木さんは耳の調子が悪くメインステージのみでのパフォーマンスだったが…)、恒例の水の演出も夏らしく楽しかった。

 ただ、どこかゆったりとした時の流れを感じない、余白のないライブでもあった。年末のライブ開催の発表もなく、MCも曲ふりのための決められたものに終始し、エビ中らしい空気感のトークは見えなかった。開催直前に発売された「クイックジャパン」のインタビュー記事の中で廣田さんは、パフォーマンスにで対する指導が厳しくなり、今までのライブ自体を楽しむ気持ちが持ちづらくなっていると言及していた。それも一つの要因かと思うが、それだけではないと思っている。

 ライブ中のMCに関して言えば、2月に松野さんが亡くなり、ブログや雑誌のインタビューでメンバーの気持ちが語られているものの、直接ファンに語りかけるのは難しいと思うし、なんとなく別の話だけをするのも違うような気もする。今回のアルバム、そしてツアーは彼女の死がひとつ大きなテーマとなっていたし、その後の『ファミえん』でそれを感じないかというと決してそんなことはない。ツアーとは違い、『ファミえん』は昔の曲も多くセットリストに含まれており、彼女の分の歌割りを他のメンバーが担当し、その変化はどうしても気にはなってしまう。楽しいライブではあるのだが、どこかそれだけでは表現できないものを感じてしまうのが、今のエビ中である。

 

 そして8月最後の31日に廣田さんはエビ中からの転校(卒業)を発表した。ネット上では卒業の予感を持っていたファンは多くいたが、正直私は想定をしていなかった。改めて最近のインタビュー記事などを読むとなるほど確かに卒業を考えているように聞こえる。彼女の発表は驚きだったし、寂しくないといったら嘘になるが、すんなり受け入れられた部分もあった。いろいろなことに挑戦したいという彼女自身のためにもいい決断だったと思っているが、それ以外にも頭を過るものがあった。

 

 私自身は、松野さんのことを未だに受け止め切れていない部分が多々ある。それもあって、彼女の死がメンバーにとってエビ中を辞めづらいものになってしまわないだろうかといった一抹の不安もあった。彼女を存在し続けさせるために、エビ中というグループを残さざるを得ない。形を残しておかなければならない。そんな気持ちを持って欲しくはなかった。だから廣田さんの決断は他のメンバーにとってもいいことだったかもしれない。そこまで見越して決断したかは推測の域を出ないが、それでもそう思わせるぐらい頭のいい人であった。最後に直接感謝を伝えに行こうと思う。

 今後のエビ中に関しては未定とのことだったが、藤井さんは新メンバーを入れることを考えているのではないかと思う。急に7人になったことで、今のエビ中は松野さんの不在をどうしても意識せざるを得ない。メンバーを亡くした私立恵比寿中学。しかし、エビ中の入り口、グループの中で印象が一番強い廣田さんが卒業し、6人になり、そこで新しいメンバーが加入すれば、新しいエビ中を始めることができる。

 

 メンバーを失った可愛そうなグループとして終わらせてあげたくない。今まで見ていない新しい景色を彼女たちにみせてあげたい。1月のライブまでのアイドル廣田あいかをしっかり目に焼き付けると同時に、来年からのエビ中というグループがどのような道を進んでいくのか、楽しみにしたい。

ここ一か月のできごとー松野莉奈さんー

 2017年2月25日。松野莉奈を送る会に行ってきました。

 彼女が亡くなった事実を現実のものとして理解することは、一ファンの私にとっては非常に難しいことでした。まだ彼女が中学生だった頃から活動を見始め、多い時期には月一でライブやその他のイベントを見に行き、たまに握手会などで直接話をしていても、彼女はタレントさん。亡骸を見たわけではない。今でもまたあの笑顔でひょっこり顔を出しそうな、そんな気もしています。

 彼女が亡くなったと知ったのは、報道がされた8日の午後昼過ぎでした。大事な取材の直前で、普段だったらしないのに、何気なくGoogleニュースを見てしまった。顔写真付きで掲載されたその文字が目に入った瞬間、画面から目を逸らした。後にしよう。これから仕事だ。でも気持ちを切り替えることなどできなかった。あれはなんだったのだろうか。悪い冗談のような記事のタイトルがずっと頭の中でぐるぐるしていた。

 取材が終わり、私は早めに仕事を上げてもらうことにした。帰りの電車で改めて記事のタイトルだけ確認して、さっき見たことが見間違いでないことを確認した。どうしていいかわからず、とりあえず一人でいたくなかった私は、長年一緒に現場に行っていた友人に連絡を取った。たまたま仕事が休みだった彼は家にいて、私は一端自分の家によって服を着替え、家にあったウィスキーを持って、彼の家にいった。なんでもいいから気を紛らわしたかった。彼の家に行ってお酒を飲みながら、お互い全く違うことを話していた。泣きたかったわけではなく、なんとなく一人でいることができなかっただけだった。まだ現実のものとして受け入れることができず、ただただどうでもいい話をずっとしていた。

 一週間後、マネージャーである藤井さん、そしてメンバーのブログがアップされた。彼女の死を受け止め悲しみに暮れながら、それでも活動は続けていくことがそこには書かれていた。漸く現実のものとして私に迫ってきた。

 

 この年まで身近な人を亡くしたことがなかった。身近という表現が正しいものかはわからないが、それでもやっぱり私にとっては身近な人だった。彼女がパシフィコで披露したソロ曲と『幸せの張り紙』にあの時どれだけ励まされたか。一見するとクールな印象を与える彼女の端正な顔立ちとは裏腹に、だれよりもテンションが高く、楽しそうに仕事をする子だった。握手会の時、舞台の話を振ると飛び跳ねながら楽しそうに役の話をしていた。魅力的な芝居をする子だった。亡くなる一か月前にも、次回の舞台が楽しみだという話を聞かされていたばかりだった。

 彼女はどれだけの人に希望を与えていたか。優しくて綺麗な子だった。でもそんなことは関係なく、平気で奪っていった。小説や映画で語られる、時間が止まってしまう感覚とか、ぽっかり心に穴が空いてしまう感覚とか、全部味わわされた。

 

 25日、会場に着くとプラカードで列の最後尾を示していた。そこに書かれていたのは「松野莉奈を送る会」。目に見える形で思い知らされた。やっぱりこれは現実なんだと。その日は晴天で空は青く、海も綺麗に見えた。長い待ち時間を覚悟してか、関係のないことをしている人も多くいた。他のアイドルの動画を見ていたり、来年度のクラス替えの話をしていたり。会場で流れているBGMに合わせて鼻歌を歌っていたり、以前に行ったももクロのライブの話をしている人たちもいた。長すぎる待ち時間は、そのうち私にも何を待っているのかを忘れさせていった。だが、会場前の階段に列が待機すると、さっきまで話をしていた人も含め、誰も話をしなくなった。BGMも聞こえなくなり、押し黙った周りの人の沈黙が空気を重たくさせていた。早く行きたい気持ちとここに立ち止まっていた気持ちと二つの気持ちに引き裂かれながら、列はゆっくりと進んでいく。

 扉の直前になり、微かにBGMが聞こえてきた。彼女のソロ曲だった。恋をし、結婚して、子供を作って、先に亡くなった旦那さんの後を追って静かに息をひきとりたいと歌うこの曲が恨めしかった。いろんなことをさせてあげたかった。普通の高校生活を送れなかったことが良かったのか悪かったのかはわからないけど、ご両親がそれを良しとしてくれていたことがファンとしては救いだった。

 壇上には彼女の大きな写真が置かれ、溢れるほどの花が置かれていた。ありがとう。思い出をありがとう。泣いていい場所でちゃんと泣かせてもらった。祭壇に置かれた写真を見て、彼女に会えた気がした。会ってお別れを言えた気持ちになれた。悲しいけど、短くてもいい人生だったと思いたかった。会場を出て、すっかり暗くなったみなとみらいを一人で横浜駅まで歩いて帰った。

 

 彼女への思いの強さも、悲しみの受け止め方とか、時間のかかり方も一人一人違って、送る会に参加することが絶対だとは思えませんでした。友人には誰も声はかけなかった。私と同じように一人で行った人もいた。ただ、8日に会った彼は、泣きがながら来ないという選択をとった。

 数日後にご両親がファンのために言葉を残してくれた。「莉奈の大好きだったエビ中を莉奈の面影を感じながらこれかれも見守らせて下さい。」漸く藤井さんやメンバーの気持ちに追いつけたような気がした。

 またエビ中のライブに行こう。一緒に泣いて、また一緒に笑おう。

 

自身の「悪の凡庸さ」を思い出す

以前仕事をしている中で起きたことを思い出した。

私はお客様や会社の不利益になることではない行為と捉えていた為、虚偽の報告を半ば無意識的に会社側へ行っていた。この報告は会社側の自分への評価基準となるものであったが、その基準自体に私は問題を感じていた。以前その点に関して意見を述べたが、会社側から問題の解決を受け入れてはもらえなかった。この受け入れられなかったという不満をきっかけに、初めは躊躇していた虚偽の報告は次第に日常的な行為へとなった。

自ら進んで悪を行うものはいない。その行い自体をいいことだと誤って信じているために起こることである。

未だにその報告の基準には疑問は感じており、その基準自体は却って会社の利益につながらないとは考えている。ただこのような行為は常々考えていた「悪の凡庸さ」の一端であり、気づかぬうちに、自らその沼に足を突っ込んでいた事実に愕然とさせられた。

立ち止まって、考えるべきことであった。自らの戒めとして、ここに文を残しておく。