2015年9月19日

 

 2015年9月19日未明、安全保障関連法が可決された。

特定秘密保護法が可決された2013年12月頃より、政治に対して興味を持ち、私なりに勉強を始めていた。時期が時期なので、触れないわけにもいかず、今回のブログを書いている。

 今回の法案に関して、「戦争法案」なのか「戦争抑止法案」なのかといった議論が起きる。安全保障の問題はこの国において極めて重要な問題であることに異論はない。しかし、現状果たしてその議論へと進む段階であるのであろうか。その段階にすら至らない、大きな問題があると私は思っている。

 それは憲法違反の問題である。議論は重要であるが、それはあくまでも憲法の範囲で行うべきことである。その範囲をこえるのであれば、まず憲法を変える手続きから始めるのが原則である。憲法とは「国民」が「国家」に守らせる法であり、「国家」が権力を乱用しないためのものである。今回の法案を通すことが、何を意味するのか。私たちが自由に発言し、考えることすら奪うことにつながるのだ。

 たしかに世界情勢は変わった。アメリカ一強の世界のバランスは崩れ、中国やロシアが勢いづいている。戦争からテロの時代へ移り、終わりの見えない戦いも強いられている。

今回の安全保障の問題を議論する際、脅かす存在として中国の名前を挙げる人は多くいる。尖閣諸島の問題があるので、当然といえなくはないが、果たして中国と戦争になるのであろうか。その危険性はどの程度現実味のあるものなのであろうか。国内向けのパフォーマンスに過ぎないのではないのか。グローバル化した今、戦争が自国の首を経済的に絞めることは間違いない。そのデメリットを引き受けてまで、戦争を起こす理由はあるのだろうか。

 政策とはすべてにおいて事後的評価しかできず、そのため正しい選択をとれた確証は現時点では誰にもわからない。そのために歴史を学び、自国の、他国のかつての選択を参考にすることしか、結論を導き出すことはできない。

 政治家ではない私たちに何ができるのであろうか。勉強を始めてからというもの、政治の問題ほど難解なものはないであろうと日々実感している。自分と違う意見を持つ人と出会った時、当たり前のように思っていた前提を共有することができず、言葉に詰まることも多々あった。勉強不足は否めず、恥をかくことも多い。そして勉強して分かったつもりになっていても、自分の考えが正しいとは言い切れないのである。それでも話続けること、話を聞くことにしか未来への希望はないと思っている。政治家でない私たちだからこそ、やるべきことは多くあるのではないだろうか。