存在するということ-EVERYTHING POINT5-

 本日1月3日、私立恵比寿中学廣田あいかの最後のライブが武道館で行われる。その公演前に12月に発売された『EVERYTHING POINT5』について記しておく。昨年2月8日にメンバーの松野莉奈が急逝し、その直後から始まった春ツアーを追ったドキュメンタリーである。

 2013年から毎年春ツアーの様子をナレーションなしで記録していた『EVERYTHING POINT』も今回で5本目になる。今まではライブ映像と移動中や食事中のオフの姿を通して、彼女達の成長が映し出されていたが、今回は今までとは違う別のものも映し出されていた。

 人の死をどう受け止めるべきなのか。彼女の死はなんだったのか。そこに意味などないのだと分かっていても、私は自問自答を繰り返してしまっていた。『EVERYTHING POINT5』にはその答えのようなものが映し出されていたように思う。

 春ツアー初日の前夜に、彼女が出てきた夢を小林歌穂が話す。ケータリングのヤングコーンを見て、メンバーが同じように彼女が作ったヤングコーンの歌を思い出す。名古屋公演の前に中山莉子が「今日すごい、ここら辺がずっと泣いている。心の中とか、芯が泣いている。そしたら歌穂ちゃんもぁぃぁぃもみんなそうだみないた感じで言ってたから」とカメラの前で語る。彼女のことを知っている彼女たちは、自然に彼女のことを思っていて、思い出している。

 そしてツアーファイナルで最後に流れた音声と映像が全てを語っていた。最新アルバム『エビクラシー』に彼女の姿はなかった。しかし、亡くなる前に収録していた音源とジャケット写真撮影の映像が残されていた。もういないと思っていた彼女の姿がそこにいた。時間を超えて、今ここに彼女がいるかのように。

 「今、君とここにいる」。春ツアーのタイトルの意味を思い知らされた。確かに「いる」のだと。変わってしまったけど、変わらない。いないけど、いるのだと。

 だれもがカメラを携帯し、記録したものを簡単に共有できる時代に、映像を始めとする記録するメディアは相対的に価値が下がってきたように思う。過去に録音されたもの、過去に録画していたもの。なんのために記録するメディアがあるのか。考え直す機会となった。

 今日武道館で、変わってしまうけど変わらないものを目に焼き付けたいと思う。