テレメンタリー2016「いじめは空気だ―届かなかったSOS-」

 テレビ朝日で深夜に放送された、テレメンタリー2016「いじめは空気だ―届かなかったSOS-」を見た。

 

 長崎県新上五島町に住む当時中学3年生の男子生徒が自ら命を絶ち、その後の家族の姿や第三者委員会の取り組みを追ったドキュメンタリー番組であった。

 

 部活も副キャプテンを務め、成績優秀だった彼。一生懸命で真面目に物事を取り組む人ほど責任感もあり、自身で問題を解決しようとしていたのであろう。ただ、世の中には自身で解決することのできない問題は多くあり、それに真面目に向き合うことばかりがいいこととは言えない。数年前の自分自身のことを思い出す。

 

学校を卒業し初めて社会人になった私は、人を殺す社会があることを知った。基本的な人権や人の尊厳は、当然のように守られ与えられるものではなかった。そしてそれは、自分自身の努力で改善できる話でもなかった。今まで勉強も部活動も努力することでよい成績を残すことができた私にとって、初めて解決することのできない問題に直面したのだった。子供のころから、10年以上憧れていた仕事を辞める決断はなかなかできなかった。今までその憧れを支えに生きていたため、なおのことであった。「逃げる」という手段は、私の選択肢に入れることがなかなかできなかった。休む暇もなく働いていた私には悩む時間もあまりなかったが、8ヵ月が過ぎ精神的限界は優に超えていた。私は仕事を辞めた。

私の決断を後押ししてくれたのは、彼もLINEのアイコンにしていた彼女であった。映画しか好きなものがなかった私に、別の面白いものが世の中にはいくらでもあることを教えてくれた。そこから私は、子供の頃から思い描いていた未来とは違う未来を歩き始めた。想像していなかった未来を生きることは、刺激的であった。楽しい思い出も多くできた。そして、違う仕事を始めたことで、自分が解決できなかったあの問題に対して、少しづつ解決方法を見出すことができ、微力ながら実行もできている。

 

 LINEのアイコンを彼女にしていた彼に、私は特別な感情を持ってしまった。私もTwitterのアイコンを長らく彼女にしていた。彼が自殺の5ヵ月前に書いた作文の筆跡も、私の筆跡とよく似ていた。彼にできることはもう何もない。これから何者でもない私にできることがあるとすれば、それは自分自身の身近な友人に手を差し伸べることであろう。「人の笑顔は人を笑顔にし、その笑顔がまた別の人を笑顔にすると思う。」その言葉を私も信じて生きていきたい。