ここ一か月のできごとー松野莉奈さんー

 2017年2月25日。松野莉奈を送る会に行ってきました。

 彼女が亡くなった事実を現実のものとして理解することは、一ファンの私にとっては非常に難しいことでした。まだ彼女が中学生だった頃から活動を見始め、多い時期には月一でライブやその他のイベントを見に行き、たまに握手会などで直接話をしていても、彼女はタレントさん。亡骸を見たわけではない。今でもまたあの笑顔でひょっこり顔を出しそうな、そんな気もしています。

 彼女が亡くなったと知ったのは、報道がされた8日の午後昼過ぎでした。大事な取材の直前で、普段だったらしないのに、何気なくGoogleニュースを見てしまった。顔写真付きで掲載されたその文字が目に入った瞬間、画面から目を逸らした。後にしよう。これから仕事だ。でも気持ちを切り替えることなどできなかった。あれはなんだったのだろうか。悪い冗談のような記事のタイトルがずっと頭の中でぐるぐるしていた。

 取材が終わり、私は早めに仕事を上げてもらうことにした。帰りの電車で改めて記事のタイトルだけ確認して、さっき見たことが見間違いでないことを確認した。どうしていいかわからず、とりあえず一人でいたくなかった私は、長年一緒に現場に行っていた友人に連絡を取った。たまたま仕事が休みだった彼は家にいて、私は一端自分の家によって服を着替え、家にあったウィスキーを持って、彼の家にいった。なんでもいいから気を紛らわしたかった。彼の家に行ってお酒を飲みながら、お互い全く違うことを話していた。泣きたかったわけではなく、なんとなく一人でいることができなかっただけだった。まだ現実のものとして受け入れることができず、ただただどうでもいい話をずっとしていた。

 一週間後、マネージャーである藤井さん、そしてメンバーのブログがアップされた。彼女の死を受け止め悲しみに暮れながら、それでも活動は続けていくことがそこには書かれていた。漸く現実のものとして私に迫ってきた。

 

 この年まで身近な人を亡くしたことがなかった。身近という表現が正しいものかはわからないが、それでもやっぱり私にとっては身近な人だった。彼女がパシフィコで披露したソロ曲と『幸せの張り紙』にあの時どれだけ励まされたか。一見するとクールな印象を与える彼女の端正な顔立ちとは裏腹に、だれよりもテンションが高く、楽しそうに仕事をする子だった。握手会の時、舞台の話を振ると飛び跳ねながら楽しそうに役の話をしていた。魅力的な芝居をする子だった。亡くなる一か月前にも、次回の舞台が楽しみだという話を聞かされていたばかりだった。

 彼女はどれだけの人に希望を与えていたか。優しくて綺麗な子だった。でもそんなことは関係なく、平気で奪っていった。小説や映画で語られる、時間が止まってしまう感覚とか、ぽっかり心に穴が空いてしまう感覚とか、全部味わわされた。

 

 25日、会場に着くとプラカードで列の最後尾を示していた。そこに書かれていたのは「松野莉奈を送る会」。目に見える形で思い知らされた。やっぱりこれは現実なんだと。その日は晴天で空は青く、海も綺麗に見えた。長い待ち時間を覚悟してか、関係のないことをしている人も多くいた。他のアイドルの動画を見ていたり、来年度のクラス替えの話をしていたり。会場で流れているBGMに合わせて鼻歌を歌っていたり、以前に行ったももクロのライブの話をしている人たちもいた。長すぎる待ち時間は、そのうち私にも何を待っているのかを忘れさせていった。だが、会場前の階段に列が待機すると、さっきまで話をしていた人も含め、誰も話をしなくなった。BGMも聞こえなくなり、押し黙った周りの人の沈黙が空気を重たくさせていた。早く行きたい気持ちとここに立ち止まっていた気持ちと二つの気持ちに引き裂かれながら、列はゆっくりと進んでいく。

 扉の直前になり、微かにBGMが聞こえてきた。彼女のソロ曲だった。恋をし、結婚して、子供を作って、先に亡くなった旦那さんの後を追って静かに息をひきとりたいと歌うこの曲が恨めしかった。いろんなことをさせてあげたかった。普通の高校生活を送れなかったことが良かったのか悪かったのかはわからないけど、ご両親がそれを良しとしてくれていたことがファンとしては救いだった。

 壇上には彼女の大きな写真が置かれ、溢れるほどの花が置かれていた。ありがとう。思い出をありがとう。泣いていい場所でちゃんと泣かせてもらった。祭壇に置かれた写真を見て、彼女に会えた気がした。会ってお別れを言えた気持ちになれた。悲しいけど、短くてもいい人生だったと思いたかった。会場を出て、すっかり暗くなったみなとみらいを一人で横浜駅まで歩いて帰った。

 

 彼女への思いの強さも、悲しみの受け止め方とか、時間のかかり方も一人一人違って、送る会に参加することが絶対だとは思えませんでした。友人には誰も声はかけなかった。私と同じように一人で行った人もいた。ただ、8日に会った彼は、泣きがながら来ないという選択をとった。

 数日後にご両親がファンのために言葉を残してくれた。「莉奈の大好きだったエビ中を莉奈の面影を感じながらこれかれも見守らせて下さい。」漸く藤井さんやメンバーの気持ちに追いつけたような気がした。

 またエビ中のライブに行こう。一緒に泣いて、また一緒に笑おう。